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コミュニケーション

tetsuya_odaka

仕事仲間に「もっとコミュニケーションをとった方がいいよ」とアドバイスすると、毎週2時間もミーティングを設定しちゃったりする。自分の言い方が悪かったのかな、とも思うが、この手の「コミュニケーション」が増えていると思う。「とりあえず打ち合わせをして」というのもよく聞くセリフだ。

つい先日は、仕事仲間に「一人では成果を上げることはできないのだよ」と話した。学者の世界だって、たった一人で偉大な成果を上げた人はいない、と思う(アインシュタインにだって同僚がいたのだから)。

この忙しい世の中、時間的・物理的な制約を克服しようと思ったら助け合う以外にはない。また、この世知辛い世の中、精神的な困難を克服するにも助け合う以外にはない。仲間がもつコネクションは大きな財産だ。

それに、真に創造的な仕事をしたいなら、気のあった仲間と対話をするのが一番よい。仲間に一方的にしゃべりかけるだけで、創造の羽が広がっていくのはよくあることだ。

先日のログに「コーダーの成果は、第三者に評価されて初めて明らかにされる」ということを書いた。自分を含めて、コーダーは孤独で独りよがり。「自分との対話」と「コンピュータとの対話」で仕事が形成される。
この「個人的な」仕事は、各人の努力と能力にのみ依存すると思われがち。だが、その内容は(最終利用者以前に)まず仲間に明らかにされなくてはならない。仲間による「ハードル」は低いのが普通だから、それを「超える解」を探すことがマナーだと思う。

ちょっと考えただけで、「仲間で仕事をすること」の意義がこんなに見つかる。
だが、こういったことを「コミュニケーション」という言葉で置き換えてしまうと、最初の例のような失敗が出来上がってしまう。

mezawa氏が東京(の近く)に来てくれて、2日間お話をした。
わずか2日間とはいえ、20時間も対面で話をした後は疲労とともに寂寥感を感じる。
自分より秀でた技量を持ち、自分の反射板にもなってくれる仲間に恵まれて幸運だと思う。他の仲間にも感謝・感謝。